レーガン、パパブッシュのあわせて3期12年の共和党政権時代、特にその最後期において、民主党はもはや政権を奪還できないと見られていた。

そこに登場した新星が、戦後生まれ、ベビーブーマー世代のウィリアム・ジェファーソン・クリントン、通称ビル・クリントンだった。

大統領選でクリントンはアメリカ国民に向けて、「コール・ミー・ビル(俺のことはビルと呼んでくれ)」と語りかけていた。

クリントン一家

当時弱冠46歳のこの新星は、若さを武器に、アメリカの民衆のなかに溶け込んでいった。
アーカンソー州の人たちが多かったとはいわれているが、一般のアメリカ国民がクリントンの側について大々的なキャンペーンを繰り広げた。

中央政界で何の経歴もないどころか、アメリカ1の貧乏州アーカンソーの知事にすぎなかったクリントンは、「チェンジ」の掛け声とともに、国民の強い期待を担って、第42代アメリカ合衆国大統領の座へと昇りつめていった。

これぞまさしくアメリカンドリームだった。

ビル・クリントン 1993年

大統領選のディベートでクリントンに押し負けていた現職大統領ジョージ・H・W・ブッシュをほんの少しばかり擁護すれば、あの選挙でクリントンの得票率は40%超にすぎなかった。大富豪ロス・ペローが立候補して(20%弱の得票を獲得)、共和党の票を食っていった。ブッシュとペローを併せれば、軽く50%は超えていた。

クリントンをそこまで高評価してよいわけではないが、アメリカ1優秀な人間を大統領にしてしまえばいいじゃないか、というのを実際に実現できてしまうのがアメリカの強みである。(少なくとも当時は)

実際、クリントンはずいぶんと頭は良いはずだ。若い頃も、ローズ奨学金をもらってイギリスに留学している。ヒラリーの言だからちょっと割り引いた方がいいかもしれないが、ロースクールの同級生だったビルは、多くの人に「あの人は将来きっと大統領になる」と言われる人物だったらしい。

クリントン一家

大統領になってからのビル・クリントンの活躍もまた素晴らしい。

冷戦が終わった時期、世界ではこう言われていた。「冷戦は終わった。しかし、勝ったのはアメリカでもソ連でもなく、日本だ」。

今の若い世代の日本人には理解できない話かもしれないが、当時は本当にそういわれていた。核戦争の危機がようやく消え去って、気づいてみたら、米ソ2大超大国ではなく、また中国とインドの存在感がほぼゼロの世界で、日本が世界の覇者になっていた。

クリントンが大統領になった時期は、アメリカ経済が衰退し、1人あたりGDPで日本に抜かれてしまった。日本の産業界と金融界は世界を席巻した。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代だった。

ビル・クリントン 1995年

そのような苦境にあったアメリカ経済を復活させたのがクリントンだった。実際にはロバート・ルービンとアラン・グリーンスパンであったわけだが、大統領がクリントンでなければ不可能な話だった。

日本は「失われた十年」で世界経済のトップ国から転落していったが、逆にアメリカは世界の金融システムを作り変えて、経済でも唯一の超大国になった。(たとえその素地を作ったのがレーガン政権時代の政策だったとしても、ウォール街を知り尽くしたルービンとグリーンスパンでなければ、実際に世界の金融システムを作り変えることは困難だった。)1980年代に双子の赤字に苦しんでいたアメリカを知る世代にとって、クリントン政権時代に財政赤字がすっかり消えてしまったのは、完璧なマジックだった。

クリントンが大統領任期を終える2001年までの数年間、アメリカは世界史上初といえるぐらいの、政治・軍事・経済のいずれにおいても他の国を寄せつけない、圧倒的なスーパーパワーとして世界に君臨した。イデオロギー面でも盤石だった。

あの頃は、このまま世界の歴史はアメリカの独擅場になる、と思われていた。

ジェームズ・フレイザーの『金枝篇』を読み解ける者だったらこう語るだろう。「こういうのは王様の力なんだよ。クリントン本人が偉かったのさ」。