思うところあって先週、ちょっと高野山まで出かけてきた。大阪市内からだと南海電鉄の特急列車とケーブルカーで2時間の距離だ。
関西の平野部ではこれからが紅葉の見ごろだが、高野山ではもう紅葉は散った後だった。壇上伽藍に向かう蛇腹道にはまだ紅葉が残っていて、ライトアップされていたのがせめてもの救いだった。
夜の壇上伽藍は素晴らしかった。高野山のシンボルであるあのオレンジ色の根本大塔が明々とライトアップされていた。
霧の夜だった。下界では雲なのだろうが、標高800メートルの山中では霧だった。地上5メートルぐらいの高さに雲の下端が来ているような状況だった。
霧はひっきりなしに生成され、流されていった。大塔の頂上付近では、そうした霧の流れが激しく湧き起こり、猛スピードで流れていくさまが次々と展開した。まるで映画の1シーンに入り込んだかのようだった。
高野山のもう1つの中心地、奥の院にも行ってきた。残念ながら、週末で人が多かった。せっかくの霊地訪問が、その点だけ損なわれた。
高野山も以前はこれほど観光客は多くなかったと思う。ところが、世界遺産に登録されて、観光地として発展を見てしまった。
奥の院も昔は一の橋から2キロぐらい歩かないとたどり着けなかったのだが、今は当時の参道のほぼ中間地点にあたる中の橋から広い参道が整備されて、ずいぶん行きやすくなった。もちろん現在でも一の橋から奥深い杉木立を歩いていく人はそれなりにいるが。
どうにも嫌だったのは、団体客向けのガイドだった。観光地にガイドは必要だし、訪れた人たちに信仰の大切さを伝える上でも適切な説明はなされなければならないだろう。だが、現実には、この場所が霊場だという理解をほとんど持っていない団体観光客相手に大声で「ここに豊臣秀吉の墓がある」などと説明するばかりだった。雰囲気を台無しにしてくれていた。奥の院にやってくる人のなかには、静けさや霊場に備わるなんらかの霊性、あるいは宗教の奥深さのようなものを味わいたい人もいるはずだが、そうしたことにお構いなく商売に精を出している様子だった。
世界遺産に登録されるのも良いことばかりではないと思う。
話はかわるが、高野山はいわずと知れた山上の聖地だ。僧侶だけで1千人が住んでいるそうだ。昔から多くの僧侶がこの地で生を営んできたが、和歌で有名な西行もそうだ。
西行は身分としては僧侶で、一時期、1人で庵を結んで高野山に住んだ。
西行といえば、
願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ
という春の桜の歌が有名だが(しかも、実際にそのようにして死んでいったようだ)、高野山では月を愛でる歌などを歌っている。和歌の作り手としては一流の西行だが、花や月、和歌への執着を断ち切れなかったのなら、宗教家としては今一つだったということか。
高野山からの帰りは、ケーブルカーでわずか5分で山麓まで下ることができた。
ケーブルカー内の外国語での音声ガイダンスは英語以外に、フランス語でも行われていた。そうした観光地は日本では珍しいと思う。
高野山のようにメジャーではないけれど、なにか奥深いものが備わっていそうに見える観光地には、フランス人の観光客がわりと多い気がする。欧米諸国のなかでは日本への訪問者数が一番多いアメリカ人とは、どこか国民的な感性が異なっているのだろう。
奥の院のガイドさんたちよ。奥の院にやってくる日本人の中にも、たんなる観光客の日本人とは別の感性を持っている人たちもいるのだよ。
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